お茶をやめてしまって何年にもなります。
抹茶はときどき自己流でいただきますが、作法そのものにはすっかりご無沙汰。

先に、一枚のフェイスタオルで身体を拭くことをアップしたら、お茶のことを思い出しました。「消耗品が消耗しない~~」

茶道では、この茶巾一枚で、道具を清めるんですね。
最小の道具で、もっともきれいになるような動きをする。
こんなお茶の動きのあれこれを日々の生活のなかに取り入れることにしました。
いえいえ、大層なことでも、気取ったことでもなく、
たとえば、食べたあとの食器が汚れたら、その汚れを拭きとる~~。ガス台や調理台など、汚れたらすぐにきれいにするクセはお茶の作法から身に付けたのかもしれません。茶道はまったく上達しなかったけど(汗)

たとえば、

食器洗い用のスポンジを手のひらに収まるくらいに小さくカットして、使いやすく、汚れたら、すぐに変えるようにする(笑)
茶道の動作も、最初は、どうしてこんな無駄な動きをするんだろうと思っていました。
「茶の湯とは
ただ湯をわかし茶をたてて
のむばかりなる事と知るべし」利休の言葉です。
にもかかわらず、お茶の作法は、結構面倒くさい。
利休のいう「ただ」にはいろんな意味があるそうです。たとえば「心をこめる」「一心に」
何をやるにも、心をこめ、一心に行う、ということでしょうかね。

実は、あの動きは最も効率のいい、洗練された一連の動きだそうです。無駄のない動き、次に何をやるかを考えた動き、それでいて、優雅な動き~~。
いまだに、私はその動きができないのですけどね。
そして。
お茶の稽古では欠かせないないのが「割り稽古」。

これは各部分、部分を何度も繰り返し、手や身体が自然に動くくらいになるまで繰り返す。
お茶をやらなくなって気づいたのですが、これって日常生活のなかで、どんなことをやるにも必要なこと、ですよね。
苦手なことは何度も繰り返す~~。
たとえば、帯を作るときには、お太鼓と前帯の三角の部分で、うまい、下手がわかるのです。

ちょっとわかりにくいけど。
裏の生地が表に出ないように、少しずらして縫う。ここが最も難しい~~。この部分を「割り稽古」端切れなどを使って、何度も練習~~。
たとえば、着物を縫うときの、額縁仕立て。角の部分ですね。

何度やってもなかなか覚えられません(泣)
ここを布巾などを使って何度も練習~~。
それらの難所を何度も何度も繰り返す。身体や手が覚えるほどにやる。
これは何をやるにも、大切なことであることよなあ。
好きなことなら、夜通しやっても飽きない~~。
サッカー好きの息子は、子どもの頃、リフティングの動きを何千回も繰り返していました。私は、飽きれていたのですが。
「茶の湯とはただ湯をわかし、茶をたてのむばかりなり」
茶道とは面倒なしきたりと華美、敷居が高いと思いがちですが、ワタクシのお茶は、華美には程遠く、簡素、質素、な方向で行きます。

「本来無一物」もう言葉通りに受け取る~。
「茶の湯とはただ湯をわかして、のむばかりなり」これも言葉通りに受け取ります。白湯でもいいよね、利休さま
本日の東京は雨、春の嵐~~。帯作り、三角部分の練習でもすることにいたします。ワクワク~~。
そのあと、一服。ただ、飲むだけ~~。
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